三重中学校の野田校長というかたの万華鏡というコラムを読みました。
言葉の大切さについて書かれておりました。
美しい表現。
コラム中に「夜の湖のように静かに澄んだ瞳」という表現が出てきます。
私は受験生が最終的に目指すメンタリティをこう表現しています。
「早朝の湖の水面のように」
静けさに満ちているが、湖から立ち込める蒸気が充ち溢れんばかりのオーラのようです。
カモが湖の端っこでスーッと行く画も僕には見えます。
僕は力(オーラのようなもの)を出すためには静かに集中することが大切だと思います。
今冬期講習中で授業数も多く疲れています。
家に帰るとテレビを見ながらご飯を食べたいのですが、ちょっと我慢しています。
研ぎ澄ませたいからです。
見ないで食事を終えると本当に満足した気分になります。
ちょっとした修行ですね・・・
野田校長のコラムには若者のアウトプットにも触れています。
若者のアウトプットする力が衰えてきているというような内容なのでですが、
私はいつもそういう表現に疑問を覚えます。
学力という「部分」をフォーカスするとそうかもしれませんが、
例えばインターネットを駆使したり、次元の違うところでは別の能力が開花しているような気もするのです。
極端な話レオナルド・ダ・ヴィンチ、ピタゴラスとかはるか昔の人たちに比べて現代人は劣るだろうか?
教育とは現代(または未来)必要な人材を創り出す側面が大いにあると思います。
現在の社会が求めている、もしくは未来を切り開くようなアイデアを出せるような人を育てること。
国が行うような大きな教育と我々塾や地域がおこなう小さな教育。
小さな教育でも、教育機関が求めているものをしっかり租借し、自分たちなりにアレンジできれば
まあ塾としてははやるだろーなー。
とてもまとまりのない文章で申し訳ないです。
英検・漢検・インド式数学・そろばん・・・理科の模型をつくる、実験する・・・
標準的な授業ができたうえでもっと「おもしろそうなこと」にもチャレンジしたい。
今自分のスタイルを打破したいと悩んでおります。
心境としては、西ノ島近海の荒れた波のようです。